正欲/朝井リョウ

すごく難しい。嫌な暗い気持ちにもなるし、疲れた気持ちもあるし、仕方ないのかって思うところもあったりして複雑。

LGBTQとか異性愛者とか同性愛者とかもともと私にはどっちでも良くて、女の人が女の人を好きでも、男の人が男の人を好きでもそれは自由だから何も思ったことがなかったけど、小児愛はだめとか嫌悪感がすごくあるし差別的な目で見るし、軽蔑もする。実際に犯罪になっているからか、、、?

この本の帯に書いてあった「読む前の自分には戻れない」が本当だった。前の私の考えには戻れないと言うか、ダメなことは全部わかってる前提で、小児愛がどうして犯罪になるのかわからなくなった。小児愛=犯罪ではないから言葉を選ぶのが難しいけど、許されてはない。

ではどうして小児愛は許されないのか。それなら小児愛者の人たちはどうすれば良いのか。

私はたまたま多数派の異性愛者に生まれたからラッキーだったのか、異性を好きになることは犯罪にならないし誰かに何か言われることもない。それは生物学的に正しいから?じゃあ、生物学的には同性愛者は異常になるのか。もし異常だとするならば、それらは許されないのか。

小児愛者も子供に性的魅力を、興奮を感じるだけで(もちろんそれは許されないし、法律でも許されていないからダメなのは理解している。実際私もそれはおかしいと思ってしまう)、でも対象が違うだけで感情は同じではないんだろうか。良いこと、悪いこと、正常と異常の線引きをするのが難しくなってしまった。

小児愛者には嫌悪感しかなかったけれど、可哀想にも思う。許されないことはわかっているけど、じゃあその人たちはどうすれば良いのか。この本を読んで少しだけ後悔しているような、何とも言えない複雑な気持ち。疲れた。

(この本は小児愛の内容ではないけど、私は最初小児愛をイメージして嫌悪感を抱いた。読み進めていくと違うことがわかったけど、自分の先入観が怖いなと思ったから、小児愛に関して書いてる。)

自分は理解力があるとか思ってた。自分が親になった時、もし子供が同性愛者でも本気でどっちでも良いって思っていたし、それは今も思ってるし、これからも変わらないと思う。

でもこれは本当に理解しているのか、マイノリティを″受け入れよう″とか思っているのか。もし自分にそんな気持ちがあるとしたキモすぎる。ヘドが出そうという気持ちがなんとなくわかるような気がする。私はLGBTQとか気にしないと思っていけど、自分がマジョリティにいるからその余裕から思えてるだけかもしれないとしたら、すごく自分勝手で傲慢すぎる。何が正しいのか、どうすれば良いのか、″多様性″とか″ダイバーシティ″とかにはずっと違和感があったけど、その違和感がなんとなくわかった気がするし、たぶん合ってると思う。″多数派の人たち″がただ自己満足の為に言ってるだけで、私みたいに本質を何もわからず、一人一人の個性とか、認めるとか言っているだけ。

マイノリティの人たちからすると、放っておいてくれ。なのかもしれない。結局は人の気持ちをわかるなんて無理。だから努力してわかろうとすることが大切なのかもしれない。


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